そもそも"Jam Session"が現れたのは何時の事なんだろう・・・?Kansas Cityの話しではどうもJam SessionはKansas独自のものであるかの様に書かれています。
それとは別にNew Orleans Jazzも集団即興なので元からJamだったという話しも以前聞いたけれど、実はその辺の出典/原典にあたるものは?どうも見つからない。件の書籍ではKansasで行われたJamについては、まるでストリートファイトかカウボーイの腕試しみたいなお話になっているが。同時代のJamについて何だかの証言があるかというとRusselの本の他に今の処では出典が確かめられません。
Russelの記述もKansasで行われていたSessionの模様と後のNew YorkのミントンハウスのSessionの模様が時間軸が曖昧で1920年代1930年代1940年代の様子がごっちゃになっている様です。Jamという形態/またはそのコンセプト、歴史、バトルだったのかお遊びだったのか、傍証となるものも見つからない様なのです。
Russelとして言いたいのはBopの原動力はJamSessionであり、Kansas発祥のストリートファイトでJazz=どっちがスゴいか喧嘩して白黒付けるバトルだ・・・だからJazzはスゴく(強く)なったのだ、という事らしい。しかし、実はその辺の論旨、明解に書かれていないのです。この本では文章の書き方は曖昧で全体的に匂わす様な感じで細部を読もうとすると時間軸がよく見えないという記述になってます。
戦後のミントンハウスJamは明らかにそれまでのSwing系のOld Timerを閉め出すためにわざと難しい事をやった旨は当時のミュージシャンの直接の証言もあるので確かでしょう。
それがModern JazzのRootsだとすると、そのコンセプトに従えば、一番強い奴だけが残るので、1ユニットに参加できる楽器は一種類一人づつしかステージに上れない上がってはいけない事になるし、トランペットとコルネットが仲良く掛け合いなんて絶対有り得ないし、腕自慢が目的なのでSoloは拝聴すべきでアルトサックスの裏でトランペットとトロンボーンが好き勝手にオブリガートを入れるなんてもっての他という事になります。
強い奴だけ残れば良いと言う発想は20世紀の誤解そのものでそれが原因でいろいろ悲惨な出来事があったわけで、Jazzもその方向に進んだしその結果Collective Improvisationは一時期捨て去られるわけですが。Collective Improvisationは別な方向性も持つ事になるのだけどそれはそれで後程。
文責:ためすけ後藤
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