結構売れてるみたい。Michael S.Molaskyさんの日本のJazzと関連する文化論。新聞の書評欄で取り上げられているので見た人もいっぱいいるでしょう。日経と毎日で出てましたが他の新聞でも出てるかもしれません。本屋で平積みになってたそうですね。
副題にある様に映画・文学・アングラ文化におけるJazzとの関係、現れ方取り上げられ方を戦後から今に至るまで俯瞰した文化論です。「戦後」という言葉自体がえらーく古臭いものに思えるのは自分だけじゃないでしょう。ちょとタイトルで損をしているかもしれない。いろいろ書いてありますが一番面白い(というか痛快だった)のはいわゆるJazz喫茶の描写と批評です。「暗い店内に入って腰をかけ、腕を組み、首をたらし・・・」という情景をファシズムと評するのは立派です。何しろ自分もその中にいた事があるのと、現在ためすけが一番イミ嫌っている世界なので。筆者はピアノ弾きだそうで、旧Jazz喫茶に対してナマの演奏を聴け、と言っています。それはそれで良いのだけれど、ここで意地悪なツッコミをしておきましょう。
・現在のJazzの特にModern系以降のライブシーンも、結局は旧Jazz喫茶のクラい客のメンタリティの延長線上にあって「腕を組み、首をたらし・・」た音楽がJazzであると信じて疑わない連中によって再現演奏され、そういう連中によって聴かれているという事実を知っているのか?知らないとしたら筆者は現在を見てない事になるし、知っていて言及してないとするとこれはズルい事だ。
・筆者がお勧めするライブシーンにおける「興奮」「猛烈にスウィング」がLive-Jazzのすべてか?この好み自体が筆者が批判するところの「マッチョな」Jazz観ではないのか?
文責:ためすけ後藤
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